2020年7月20日月曜日

葵(あおい)





差し出された朝食は
まだ夜も明けぬ部屋の中で
椅子を温めていた
猫が背伸びをして目を覚ます

おろしたての靴はどこか
かっこ悪くて
庭の石畳に投げつけた

歩き出せば
息は白く 今旅立ち
見慣れた町に背を向ける

明日の今では見えない空
吸い込まれるように向かうあの空の向こうへ
思い出という過去も
希望に溢れた未来も
手の中で眠れ


目指す自由はよほど遠く
目指す自由はよほど遠く
当たり前の日々は辛く
白々と明ける朝は葵

息を吸い込んで 振り返れば
見慣れた町が遠く霞む

明日の今では見えない空
吸い込まれるように向かうその空の向こうへ
思い出という過去も
希望に溢れた未来も
手の中で消え

ああ今は全てを捨てて
見果てぬ夢は空の向こうへ

目指す自由はよほど遠く
目指す自由はよほど遠く
白々と明ける朝は葵






15年前に書いた
うたです。

アンチ スーサイド!
で、書いた曲です。

絶対反対!
自殺大国日本に生まれて生きて
理解に苦しんだ。

だから、アンチ精神で
物凄い怒りを持って
この曲を書いた。

激しい怒りというより
静かに
ただただ静かに怒り
最大の軽蔑の意味を込めて
自殺する人なんて
このくらいのもんなんだろ!って書いた。
わざわざスローポップで。

今思えば、それはそれでなんて精神だったんだろうと思う。

自殺を謳ったうただとは
誰にも気づいてもらえなかった書き方しかできなかったのが
唯一の救いで

時間を経て
違う側面を持つ事ができたことにホッとしていたりする。





三浦春馬氏の自殺のニュースで
この曲の事を思い出した。

曲を書いた15年前とは
今となっては
全く違う意味を持っている曲となった。



15年前より
15歳、歳をとりました。
当たり前ですが
気づくと
この15年の間に
自分の中にも大きな変化が生まれていました。


逃げたい現実に
四方八方塞がれて
もう怒りなのか、悲しみなのか
虚しさなのか、
全く分からないものに苛まれて
ぐちゃぐちゃになった気がして
それを通過したような、通り過ぎたような気がそろそろしていた時に

『これ乗り越えろって言うのなら、もう出家とかしかないんじゃなーい?』

『乗り越えた先に、笑える日がまた来たとして、でもまたこんな事がこの先の人生で起こるのなら、、、』

『死んだらどーなるんすかね』

『好きな事散々やってきたし、別に今死んじゃっても悔いはないな』

『あ、猫のエサ切れてたんだった』

『明日の仕事は早朝から始めないとなー』

『あー、洗濯物たまってるな』

『死んでもいっかなー』

『無しよりの有り?有りよりの無し?』

『あーー、眠ぅー』







と、物凄くぼんやり
よくそう思っていました。

悔し涙を目にいっぱい溜めてた訳ではない。
悲しみに息を詰まらせてた訳でもない。
下手したら、
大げさにいうと、
鼻歌まじりに近い感覚で。

トイレから出て、ソファーまでの数秒の間とかに。

そんな事を考える事がよくありました。

虚無感というのはきっと既にあって
その中に、すーっと溶け込む感じで

命に投げやりな思いが
変な言い方すると『すごく自然に』
そこに在りました。

自分は行動には移せない事が分かっていたと思います。
十分に分かっていた気がします。
だからそんな無責任な事を考えられた気もします。


だが!
しかし!


歌詞なんて、解説するものではないんだけど
自分で意味合いを語るなんて
本当は無意味で、ナンセンスなんだけど

自殺するって状況や
その心持ちは

もう、
自分で気づかないうちに

『0』

になっていて

当たり前に朝食を食べて
おろしたての靴はカッコ悪いと思って、ちょっとクタクタにして
そしてその靴を履いて

自由って本当は怖いんだな、、、
とかぼんやり思いながら歩いて

その歩いた先に

生と死の別れ道が突然現れて

気がついたら、、、




ってことだったりするんじゃないのか?


そう思えてならないんだよな。






『死にたい、死にたい、死にたい!』
だけじゃ、ない気がする。



『あぁ、夕日キレイだな。なんでなんだろうなー。』
『まぁ、もういいかー』

な、気がする。





そして、自分の書いた曲が
その当時のアンチ!精神だけではなく
得てして妙に、自分の中に滑り込む形で
納得してしまう曲となってしまった・・・。



いや、

そうとて、

自殺を「仕方ない」というつもりは毛頭ない。

「0」

になったんだから、仕方ない!というつもりだって
1ミリもない。



アンチ スーサイド

少し形を変えて
もう一度考える事になりました。

もう、軽蔑ではないかな。

強い、とか
弱い、とかでもない

でも決して
容認はしない。

なんとなーく、だけど
ほんの少しだけど
『分かる気がするからこそのアンチ』でありたいと
今は思っている。




ブラックホールのような
真っ暗闇じゃないんだって、きっと


もちろん、明るい色でもない。

さめざめと
薄青く
薄赤いのと混ざって

淡い優しい色としても見えてしまう

「葵」

だけど、深くて
ゾッとする色にも見えてしまう葵。




花としては『大望、野心、威厳に満ちた』から
『私は明日死ぬだろう』という花言葉まで
かなり種類もあるらしい葵。




目立たなくない?
見逃してしまいがちじゃない?


周りから見ても
きっと自分でさえも。


そんな色合いが妙で
朝が明ける、けど
まだ暗い
そんな時に

と言う意味合いも込めて
この『葵』という曲をかいたんだった。

曲を書いた時の自分と
今の自分が
結局は軸がつながっていることに
少し安堵しながらも

どこかで、ゾッとしていたりもする。


怖いな。


私は
私の大好きな人たちを
大切な大切な人たちを

本当に、ちゃんと
見ているだろか。


黒は分かる。
黒はまだ分かる。




葵に気づけるだろか。




気づける人間でありたい。

半径5メートルまででいい。
多くは無理だと分かっている。



自分も含めて
きちんと向き合って

きちんと周りを見ていたい。


と、再度
しかと諫めておこうと心に固く誓います。








やっぱり、落とし所が欲しくなるよね。
理由が知りたくなるよねぇ。

でも、本当に身近な人たちの為に
『悲しい』や『悔しい』は全て返してあげて欲しいと思う。



1000歩下がって、見守るべきだと思う。



私は、自分の友達の

墓参りに行こうと思います。





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